イ・ホン(李琿)이혼・・・生い立ち編
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イ・ホン(李琿)이혼
光海君(クァンヘグン)の本名である。


今回は、
「派閥争いの渦の犠牲になった不運な王」光海君の
即位するまでの流れをメモしてみます。

ドラマに描かれるのは、創作や誇張が入っている場合が多いので、
出来るだけ偏りなく文献等による光海君関係を調べて
自分なりの解釈で書いてみます。

(間違っている部分、抜けている部分があれば是非ご指摘ください)


イ・ホン(李琿)이혼・・・ホ・ギュン
イ・ホン(李琿)이혼・・・派閥争い編
イ・ホン(李琿)이혼・・・王宮編


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1575年、
士林派(シリンパ)が西人(ソイン)と東人(トンイン)に分裂した年に生まれたホン

母は第14代王宣祖(ソンジョ)が寵愛した後宮 恭嬪金氏(コンビンキムシ)であるが

1577年、ホンが2歳の時、
病により24歳という若さでこの世を去ってしまいます。


母コンビンはホンと1つ上の兄 臨海君(イメグン)の二人の息子を産んでいるので
ホンを出産した後、身体を壊したという事なのでしょう。


宣祖は他の後宮達の嫉妬が凄かった程寵愛していたコンビンを
病が進むにつれ、後宮 仁嬪金氏(インビンキムシ)を寵愛するようになり、

1578年、ホンが3歳の時、
インビンは信城君(シンソングン)を生みます。

(因みに宣祖は15歳で即位し、子供は全部で25人)



ホンは2歳から18歳までをどんな風に育ったのでしょう

光海君の称号もこの間に与えられます。


1587年3月 クァンヘ12歳
一歳年下の柳氏(ユシ)と成婚

当時、掌楽院(チャンアグォン)の僉正と內乘を兼任していたユ・ジャシンの三女である



1591年クァンヘ16歳
それまで西人(ソイン)が政権では優勢だったのを、
世子冊封問題を悪用した東人(トンイン)により
ソインは宣祖の反感を買い失脚させられ、トンインが政権を握った。
そのトンインも直ぐに南人(ナミン)と北人(プギン)に分裂。


1592年
壬辰倭乱(文禄の役)が始まると
宣祖は漢城を脱出、北方に避難し、
世子に政治権力を付与して国内で抗戦継続させる「分朝」を行なおうとした為、

1592年4月29日、クァンヘ17歳
ドタバタの中で
利口で頭の回転が速く王室の中でも最も注目されていた光海君が世子に正式決定される。


この頃、世子候補であり、ソンジュの寵愛を受た信城君は病死し、
兄のイメグンは性格が荒くて、周囲の尊敬を受けられず多くの大臣達が反対した為、
派閥争いもなく決定しているが、

1594年、クァンヘ19歳
宗主国である明が世子冊封の要請を
兄イメグンがいる事を理由に拒絶されたため、
再び世子問題は宙に浮いたままになった。


その後、クァンヘは宣祖と協力して日本軍への対応に当たり、
万が一の事態に備えて朝廷のいくつかの権限を委任された
実質的に戦争を指揮し、義兵を励ますなど活躍します
そして民衆の信頼を得て、権威を築いていきました。

宣祖は自分よりも民衆から信頼され人気のあったクァンヘが
面白くなかったとの話も出てしまうほどです。

そんな不安な環境の中でもクァンヘは
後継者としての役割をきちんとやり遂げていました。


1598年、クァンヘ23歳
戦争は秀吉の死去によってようやく終結し、
戦後は国内の復興に尽力した。


宣祖はクァンヘへの譲位を促していたが
クァンヘが断り続けた、という記述もありました。




クァンヘへ
嫁いだのは何時なのか記録が見つからないけれど

一つ年下の柳氏(ユシ)は
クァンヘを愛する思いは強く内助の功で助言も大きかったとしています。

三人の男子を出産。
しかし、ふたりの子は幼くして亡くなったので
子供は息子ひとりであった。

(後宮に女の子ひとり)



ユ氏は姑である宣祖の正室 懿仁王后(ウィインワンフ)に
丁寧に接していたという記述があります。

きっと義理の関係も上手く行っていたのでしょう。



以上、今回はここまで・・・・

いやはや、偏りなく・・・と言ったものの
どうしてもクァンヘが悪い男ではなかったという気持ちは隠せないかな?(苦笑)



2歳という物心もついていない幼さで母を亡くしたホンにとって
母の死はどう受け止められていたんでしょう

記憶の中の母の愛をずっと追い求めていたのかもしれない。
それが証拠にクァンヘの僅かばかりの遺言は心に響きます。
(晩年のところに記載予定)

追記

クァンヘの正室ユ氏の父親ユ・ジャシンは
宣祖時代に漢城府(今のソウル特別市)の地域を担当して管轄する官庁の
最高責任者パンユン(市長)を
1597年6月15日~8月22日と1597年12月23日〜1598年2月12日
の2回を任務した役人であった。
by leechanlbh | 2012-02-06 17:47 | 光海:王になった男
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